オーストラリアの出生前診断について


報告:京都市左京区在住、巽 純子   

はじめに
 最近、日本でも母体血による出生前診断(トリプルマーカーテスト)が行われるようになり、NHKが何回かこの新しい出生前診断について取り上げ話題にしております。アメリカ、イギリスなどは以前から広く出生前診断が行われております。また、日本ではあまり知られていないのですが、オーストラリアでも、州によって少し違いますが、以前から行われています。今回のオーストラリアダウン症協会の訪問は、出生前診断とそのカウンセリングに関する現状について、親の立場からの意見を色々と聞けたらと思って、思い立ちました。また、メルボルンのモナシュ大学のDr.Trumbleに、日頃、障害児の発達医療に携わっている医者の立場からの意見も聞いてきました。

出生前診断について
 本題に入る前に出生前診断について少し説明をしておきますが、詳しくはトライアングル臨時号の出生前診断についての参考資料をご覧ください。
 もともと、出生前診断とは赤ちゃんが生まれる前に、どんな病気や奇形を持っているかを調べる診断技術でした。赤ちゃんの生理的、病的状態を判断し、妊娠中のおかあさんのからだや赤ちゃんのからだを守り、そして赤ちゃんが生まれてから重い病気にならないように予防するために、行われていました。決して、障害のある赤ちゃんを見つけて、排除するためのものではありません。日常的に行われ、よく知られているのは、超音波をおかあさんのお腹にあてて、赤ちゃんの状態を画面でみる超音波診断でしょう。また、特別な場合、つまり妊婦が遺伝的に障害のある子供を産む可能性の高い場合や高齢の場合にお腹に細い針を刺して、羊水を取り、その化学成分や赤ちゃんの細胞を調べる羊水検査や胎盤の絨毛(赤ちゃんの細胞由来)を取り、調べる絨毛検査を受けることもあります。
 最近、上に示した大変な検査ではなくて、手軽に血液検査を受けるだけで、ある程度お腹の赤ちゃんがダウン症や神経管閉鎖不全症*{1}であるかどうかがわかるようになりました。それがトリプルマーカーテスト(血液中の3つの化学成分を測って算定するのでこの名前がついた)です。しかし、この検査で陽性とでても赤ちゃんには異常が無いことが多く、決して確定診断ではありません。はっきりとした結果を知りたい場合はさらに羊水による検査を受ける必要があります。

トリプルマーカーテストの歴史
 血液中のαーフェトプロテインの値で、お腹の赤ちゃんに異常があるかどうかを調べられ出したのは、イギリスでです。イギリスでは、昔から神経管閉鎖不全症という先天異常児が生まれてくることが多く、そのスクリーニングのために1973年頃から始められました。血液による検査が早くから欧米やオーストラリアで導入されたのは、人数の多い神経管閉鎖不全症の出生前診断を行うためにありました。おかあさんの血液中に漏れ出てくる赤ちゃんの蛋白質成分の1つのαーフェトプロテインを測ると高い値であるものが神経管閉鎖不全症児でしたが、たまたま、異常に低い値を示す人のなかにダウン症児を出生していた人が多くいました。しかし、1種類の化学成分だけでは、ダウン症の25パーセントぐらいしか見い出せませんでしたが、他に2種類の化学成分を測り、それに年齢などを考慮して計算することによって、70パーセントぐらい見い出せることがわかりました。そして、トリプルマーカーテストとして、ほとんどダウン症のみをターゲットとした検査がここ数年前からイギリスやアメリカでは行われるようになりました。オーストラリアでも、イギリスからの移民が多かったので、10年くらい前から希望者にαーフェトプロテインのみの血液検査がされていました。

オーストラリアの現状(Dr. Stephen Trumble から聞いた話を中心として)
 Dr.Trumbleによれば、オーストラリアでも約20数年前までは、ダウン症児が生まれると、すぐに重度障害者専用の施設に入れて、その子の兄弟や親戚には死産だったと伝えたそうです。しかし、1970年代の白豪主義撤廃とその後の移民、難民の大量受け入れによって、社会の人権に対する考え方が変わってきました。いろいろな差別をなくす中で、障害者についても社会に取り込もうという啓蒙活動がなされてきました。
 その結果、障害児の教育と障害者の一般社会での生活が変わってきました。以前は特殊教育を専門にする学校があって、そこに障害児を通わせていたのが、統合教育となって、その子その子に応じた教育が普通の学校でなされるようになりました。つまり、特別な教育を必要とする子に、地域の学校の通常の教育環境において、可能な限り最大限に通常の学級での援助教育を目指すようになりました。また、全国聾唖者週間とか、盲人週間、ダウン症週間というものを設定し、国民の啓蒙活動に力をいれています。
 そのような動きがあるからか、テレビで活躍している若いダウン症の女優さんもいます(私の知る範囲で2人)。ファンレターには、「あなたのような純真無垢な子だったら、私もダウン症の子供が欲しい。」とあったそうです。
 Dr. Trumbleが住むメルボルンは、ビクトリア州に属していますが、ビクトリア州では、今まで37歳以上の妊娠女性を対象としていた母体血の検査によってスクリーニングする、いわゆるトリプルマーカーテストが、今年の6月から、全妊娠女性を対象として、実施されるようになるとのこと。南オーストラリア州や西オーストラリア州ではすでに何年も前から全妊娠女性を対象としたトリプルマーカーテストは実施されているそうですが。
 スクリーニングで陽性の場合、それは、決して決定的に胎児が二分脊椎や染色体異常であることを意味するのではないので、さらに確定検査(絨毛生検や羊水穿刺など)を受けることができるという説明(そのリスクも含めて)を当事者に与えることがまず行われます。その後、希望者には絨毛生検や羊水穿刺、超音波による形態学的検査が行われます。
 治療方法の無い先天異常については、この確定診断の後、カウンセリングが行なわれます。多くのカップルは、ここで非常に悩み、自分自身の倫理感を問われることになります。カップルは、子供がどのような障害を持って生まれてくる可能性があり、そのような子供は社会で今どのように受け入れられているかについての情報を提供されたり、生まれてくるだろう子供を受容できるようにカウンセリングされたりするとのこと。出生前の診断によって、カップルは十分な時間の余裕を持って、その後のことが考えられるし、また自分達の熟慮に末の選択ということで、子供に対する接し方は、生まれてから心の準備もなく知らされるより良いという。
 日本と異なり、カウンセリングに割かれる時間は多いし、常にカップルでと言うところが、女性にだけに責任を押し付ける風潮のある日本とは大違いです。それでも、Dr.Trumble自身はこのカウンセリングは、主に産婦人科や臨床遺伝の医者によって行われるため、十分なカウンセリングとは言えないと考えていました。もっと、別の立場の、例えば障害児の親など、または障害児に日頃接しているカウンセラーなども交えるとよいと考えていました。というのは、医者の立場では、その後の色々と出てくるであろう医療的問題について、考えが及ぶので妊娠継続を勧めるわけにはいかないかららしいのです。また、中絶をした場合のカウンセリングも行われているが、これは決して適切な状態であるとは言えないそうです。(あとから、わかるのですが、オーストラリアダウン症協会ではダウン症児である我が子を連れて、出生前診断を受けて、胎児がダウン児であると言われたカップルに病院に会いに行き、現状を話したり、いろんな公的援助が受けられることの情報を提供しにいくそうです。多分、協会と病院側との間にコネクションがあるのだと思います。)
 彼自身は、障害児の発達を促す医療に従事し、それによって子供の潜在的能力を引き出すことができ、子供が考えられていた以上に伸びていく姿を見ているわけです。すなわち、どの子もその子にあった指導を受けて育っていくことを認識しているので、出生前診断が行われ、その結果として妊娠の中絶もあるということは非常に残念なこととして捉えていました。
 さらに、彼は彼自身の受けた医学教育について語ってくれました。既に書きましたように約20数年前まで、ダウン症児を家庭では育てず、施設に入れることの方が多かったようで、年齢の高い医者は古い考えの持ち主が多いそうです。ですから、大学で講義の中で、教えてもらった時には、ダウン症など先天異常は、否定的な意識が先生の中にあるため、今から考えると決してよい講義であったとは思えないそうです。ただ、大学を卒業したあとの研修期間に、あるとき、先輩の医者と自分とダウン症の人と3人で話をするという機会があったそうです。そのとき、はじめてダウン症の人と接し、非常に感動したそうです。ダウン症の彼は、普通に笑い、我々と変わらない感情を持っている、話もわかり、しゃべることもできる、このことが、非常に大きなショックであり、その後、Dr.Trumbleは、障害児の発達医学を専門にするようになったとのこと。彼は、いま学生を教えているが、その講義の中では、ダウン症児の生き生きした写真をスライドにして見せたり、親に来てもらって話をしてもらうとかしているそうです。ダウン症児の親の話が最も、学生に印象強く残るそうです。(実は、私が勤務している京都大学の医学部でもわずかながらその努力がされています。放射線遺伝学教室の武部教授は毎年1回、トライアングルの佐々木会長さんを招いてお話をしてもらっています。佐々木さんの講義は学生にやはり、大きなインパクトを与えるそうです。学生は、障害児の親というと、世間に隠れて、目立たないようにひっそりと生きていて、涙ながらに、障害児のことを語るのではないかと思うらしいのですが、さっそうとしていて、元気の良い話を聞くと驚くらしいのです。いつも評判が実にいいのです。)
 オーストラリアでは、障害児に対する社会的な支援などが充実してきつつあり、ダウン症のほとんどの場合、教育は普通学校で統合されているため、親の子供に対する態度も、昔と大きく異なり、よい方向に向かっているとのこと。

医療保険について
 日本の健康保険によく似てほとんどすべて国民が加入している"Medi-care"と呼ばれる医療保険がある。日本と異なり、出産にかかわる費用もカバーされるそうです。つまり、すべてがケアされるので、ここで話題にしている出生前診断(スクリーニング、羊水穿刺、絨毛生検など)にかかわる費用は医療保険でカバーされるとのこと。また、障害児を生んで育てている場合、医療費がかさむことになりますが、国民全体でその負担を分け合っています。しかし、この医療保険のために、国民ひとりひとりは、かなり高い保険料を支払っているとのことでした。
 日本で、健康保険を出生前診断に適用すると、きちんとした出生前診断に対する説明もないまま、気軽にまたは知らないうちに、血液検査を受けることになると思います。さらにその後、陽性となった場合、十分な心の準備がないまま、確定診断を迫られます。障害児の公適支援は充実していないし、人権意識や、倫理意識が高くはなく、女性の立場が弱い日本社会では確定診断で障害があった場合、産もうと考える人は多くはないと思われます。
 さらに、出生前診断の費用は、すべての障害児を産んで育てた場合にかかる医療費と比べると経済的であるいう医療経済的な議論もでてくるでしょう。しかし、患者側には”知る権利”と”知らないでおく権利”もあります。
 今、日本はアメリカから、保険の自由化を迫られていますが、民間医療保険の場合、前もって出生前診断で障害児とわかっている場合、出産すれば保険会社は、保険料を高く設定すると考えられます。したがって、そのような不利益を考えると出生前診断の段階で中絶ということも増えると思います。健康保険の制度をなくし、民間保険ベースで医療費をまかなうことは、弱者切り捨てにつながるのではないかと懸念しています。
 日本の事情を考えると、トリプルマーカーテストについて十分な説明をし、さらに、検査を受ける場合は自費負担とするのが無難かもしれません。もし、健康保険を導入するなら、検査後の陽性者に対してのカウンセリングをさらに充実しなければならないと思います。また、現段階での、医療保険の自由化は出生前診断をますます障害児排除の方向に向けて行くものと考えられます。

Penny Robertson 会長の話
 Pennyは、彼女の娘さんが、生まれる前に出生前診断でダウン症とわかっていたけれども、妊娠を継続し出産しました。娘さんは、現在14歳です。娘さんと共に生きてきた14年間、同じダウン症児を持つ親達やこれから親になろうとする人達への啓蒙活動に精力的に取り組んできています。この人と話をしているとダウン症児だからって、どうってことない、普通ですよといった気がしてきて、きっとダウン症児を持った直後のショックからも早く立ち直れるに違いないと、思わせられました。  さて、母体血清によるスクリーニングによってダウン症児の可能性を指摘された場合、さらに確定診断を受けて(受ける率は陽性者のうちの7パーセントだそうです)、結局中絶に至るケースはADSAが把握している限り、2%程であろうというのです。私は、聞き違いかと思い、再度確認をしたのですけれども、ここ10数年、ADSAに登録されてくるダウン症の1年あたりの数はオーストラリア全土で420人前後でほとんど変わりがない、スクリーニングは、徐々に実施されている州が増えているから、もしスクリーニングによる中絶が増えているなら登録されてくるダウン症児の数は減るはずであるという。であるから、2%というのは大きくは違っていないだろうというのです。(この辺、私自身としてはADSAとしての立場から強気で言っているのではないかと言う気もしました。というのは、Dr.Trumbleは、実数は言わなかったのですが、中絶に至るケースも結構あることを憂慮していたので、もう少し多いのでは。)
 日本のような、効率主義の競争社会で、なおかつカウンセラーの数も少なく、カウンセリングも充実していない国に、出生前診断だけが先行し、さらに民間医療保険が導入されることにでもなると、障害者を援助する、障害を分かち合うという意識が薄れていくのではないか、そして、さらに排除が強くなれば、優生学的な思想が出てくるのではないかと思います。もちろん、妊婦とその夫には知る権利はあるのですから、胎児の状態が生まれる前にわかるようになった現在、それを患者に隠して知らさないというのは情報公開の原則からいって、よいこととは言い難いのですが、日本では、オーストラリアほど、公的支援や社会的な受け入れが進んでいないので、選択的中絶が増えることは否めないと思います。

脚注********************************

{1} :神経管閉鎖不全症とはー赤ちゃんができてくる初期の段階で神経管と呼ばれる脳や脊髄の もとになる部分がつくられますが、これがうまくつくられず、きちんとした管の形にならないために無脳症をおこしたり、重篤な下肢の麻痺障害を伴ったりします。遺伝的要因と環境要因が作用して起こると考えれています。ほとんど外見的に異常が見られない軽度のものを含め、発生頻度はイギリスのサウスウェールズ地方で1000人に15人程度、日本では、出生1000人に1人程度です。ビタミン剤投与によって発生が減少したとのデータもあります。


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