患者・家族と社会とのかかわり

ー患者や家族にとって住みよい社会であるためには……。

1. はじめに

 近年、様々な出生前診断の方法が開発され、我が国でも母体血清マーカーを用いた非侵襲的な検査が使われてきている。この検査については、厚生省の厚生科学審議会先端医療技術評価部会の出生前診断に関する専門委員会で平成10年10月から論議、検討が行われ、平成11年6月23日に母体血清マーカー検査に関する見解として報告され、この検査について妊婦から相談があった場合には、医師は、この検査の特質と問題点を理解した上で、慎重に対応すべきであるとしている1)。

 母体血清マーカー検査は、従来は遺伝性疾患を疑われる場合など特別な場合にのみ行われていた出生前診断とは異なり、特に出生前診断と意識しない妊婦へ広範囲な適用を意図した検査である。使われ方によっては、受ける各個人は明確に意図はしていないが、結果として優生的な検査となるものである。

 我々は、1996年、母体血清マーカー検査が使われはじめた頃、ダウン症児や他の障害を持つ子の親、健常児の親を対象として,産科・小児科での告知の有無,時期,その時の説明内容,医療スタッフに対する不満,公的支援の現状,一般における障害者に対する理解と取り巻く環境などの項目を合むアンケート調査を実施した。その結果、多くのダウン症児の親は告知を受けた時、ダウン症についての知識の無さから来る偏見と「障害=不幸」という一般通念からしか考えられなくて、大きな衝撃を受けたこと、しかし、子供を育てているうちにその偏見や通念が誤解であったことに気付き、多くの親(約81%)は我が子のことを「生まれてきて良かった」と感じていることがわかった。また、親は、一般社会での知的障害者に対する理解度は低いと感じ、医療機関での専門家の中にも偏見があったことも示されていた2)。

 今の我が国の社会では、まだ障害をもつ人が地域の中で暮らしていくことが難しく、幼い頃から障害児だけが集められた通園施設や養護学校に通い、また、成人期には障害者だけが働く作業所に通っていたり、障害者施設に収容されていたり、健常者と隔離されて生活している場合が多い。そのため、一般の人の目に触れることが少なく、我々は障害者について知らない状況を作り出しているから上記のような結果になったと言える。

 この状況下で、妊娠中の女性が「お腹の中の子どもが障害をもっている可能性が高い」と検査結果がでたら、妊娠を継続することも中絶することも非常な苦痛を伴うだろうことは想像に難く無い。しかしながら、出生前診断の検査技術は、止めようもなく進歩していく現在、技術の無かった昔と同様に生まれてくるまで胎児については何もわからないということはあり得ない。では、どういう状況があれば、安心して出産を迎えられるか。それには、障害の有無にかかわらず生まれでてくる「いのち」は大切なかけがえの無いものであると言う認識が一般の人々に行き渡っていること、障害を持っていても社会が地域が他人がサポートしてくれるシステムが充実していること、障害を持つ人々が地域の中で受け入れられ暮らすことができることなどがあればいいのではないか。

 

2. 日本ダウン症ネットワーク

 我々は、全国のダウン症など染色体異常を持つ子の家族を中心に、ダウン症の人々に関わる各領域の専門家をネットワークし、障害を持って生まれても、決して不幸では無く生き生きとして生活ができるということを一般の人々に伝えるために日本ダウン症ネットワーク(JDSN)委員会を1996年に組織した3)。そして、JDSNでは、妊娠中の女性の心理的なサポートになればと考え、ホームページ上に「母体血清マーカー検査に関するQ&A」4)を設けている。

 上記以外にも、JDSNは,インターネットを利用し,各地域の医療機関,保健所,行政機関,大学,学校,各家庭などから、当事者だけで無く、各領域の専門家や一般の人々も簡単に情報を引き出せるシステムを構築し情報を提供してきている5),6)。

 また、インターネット上だけでなく、一般へのダウン症に関する 正確な情報の提供と社会啓発をも目的としてダウン症の当事者を中心においた「日本ダウン症フォーラム」を年1回全国各地で開催している。第1回1996年8月7日:茨城県つくば市、第2回1997年11月30日:京都市、第3回1998年11月28ー29日:神奈川県横浜市、第4回1999年10月9ー10日:大阪府吹田市、第5回2000年10月14ー15日:埼玉県越谷市。

 ダウン症児・者および親・家族への直接的な援助としての情報提供だけでなく,多岐にわたる情報(JDSNホームページやデータライブラリ)を無料で公開することにより,情報が医療や療育・教育,福祉の場で利用され,一般の人々における知的障害者への偏見の是正,学校教育の場における共生の意識の育成などの間接効果を期待している.これは最終的には当事者を取り巻く社会環境の整備となると思われる。

 

3. 遺伝に関する正しい知識と意識のアップを目指して

 JDSNを運営する中で遺伝に関する知識や意識が一般の人々の間でそれほど高くなく、ダウン症児をはじめとして染色体や遺伝子が原因の障害について親自身が説明するのに困難を生じていることがわかった。参考のために図1にJDSNホームページの「うえっぶ会議室」(インターネットを介し、メールで相談事を書き込むことができ、JDSN委員や掲示を見た人が答えることができるシステム)に質問が掲載された2例を示す。例1では、大学でおそらく障害児教育を教えている教授が転座型のダウン症があるということを知らないことが示されている。例2では、ダウン症の人を身内に持つ者であっても、ダウン症になる遺伝子があると誤解し正しくダウン症の疾病原因について知らないことを示している。これは、非常に基本的な知識が抜けているため、変に安心したり、不要な心配をしたりすることになる可能性があることを示している。このような状況にも関わらず、先端技術や医療が日進月歩の勢いで進み、遺伝子情報や遺伝子組み換え技術を使った研究、治療そして食品などが氾濫しているのである。

 そこで、JDSNでは、2000年5月から少しでも正しい理解を得るために「いでんいんふぉめーしょんUP SHOP」を運営し、遺伝、遺伝子に関する正しい知識、わかりやすい情報を気軽に立ち寄れる展示会形式で提供している。現在までのべ20日間程度開催しているが、遺伝相談やカウンセリングにはなかなか行けない、あるいはそういった所があると知らない人、一般的な知識を得たい人など多様な人々が訪れ、全ての人が何らかの遺伝性疾患の保因者であるとか、障害は特別なことでは無いと言うことを理解してもらえている。

 

4. 学生アンケートより

 障害を持つ胎児を中絶することに関する意識は、障害者と身近に接することによって変化するかどうか、出生前診断に対する意識や胎児の生命権について18才から26才までの未婚の学生(610名)に対しアンケート調査を行った。その結果、図2に示す結果を得た。「障害をもつ子どもの中絶を差別だと思う」と回答したのは、消極的関わりを持った群が33.9%、積極的関わりを持った群が50.0%、家族・親戚に障害を持った人がいる群が58.8%であった。すなわち、障害者との関わりが深い程、差別だと思う数が増えている(p=0.0471<0.05)。すなわち障害者の生きる権利を肯定しているとこを示している。

 

5.まとめ

 近年の医療技術の進歩により、障害児が生まれる前の出生前診断によって「生命の選別」が行われつつあることへの警鐘が鳴らされている。優生思想とは「障害児はこの世にあってはならない存在」という障害者の否定につながる論理であるが、そうと強く意識しないままに、手軽な検査で出生前診断を受け、「障害者はかわいそうな存在」「障害を持って生きるのは不幸」という日本社会の強い思いこみのもと、障害を持つ人を存在させなくする危険性がある。人の幸不幸は一人一人の価値観で異なるものであり、一律の基準をおくものではない。「それぞれの人が、その人に与えられた能力をもって自分らしく生きていく」ということを保障するために我々は何をすべきか考えなければいけない。」と白井は述べている7)。

 また、障害をもつ子どもを育てることについてはどのような見解があるのか。静岡県立子ども病院に通院しているダウン症児を育てている母親たちに長谷川が聞き取り調査を行った。これらの親は全てわが子に深い愛情を抱き、この子がいて良かったと思っており、そのほとんどが告知を受けた当初とはまるで違う「育てるのが楽しい」という見方になっていることが分かった8)。この結果は、我々が行ったアンケート調査(1996)における結果と一致している。

 障害者との自然な関わりが持てる機会を一般社会の中で増やすことが、障害を持つ人やその家族が生きやすい社会になることにつながると考えられる。

 

文献ならびにWeb情報

1. http://www.mhw.go.jp/houdou/1107/h0721-1_18.html

2. 巽 純子、佐々木和子他、「出生前診断」およぴ「母体血清によるスクリーニング検査」に関するアンケート調査の結果報告書、1996.

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/angle-3/enquete-index-j.html

3. 巽 純子、百溪英一、古川徹生、黒木良和、インターネットによるダウン症情報ネットワーク、遺伝子医学、vol.2 No.2, 125-129, 1998.

http://rg4.rg.med.kyoto-u.ac.jp/JDSN/data/JDSNACT.html

4. JDSN委員会有志:母体血清マーカー検査に関するQ&A

http://rg4.rg.med.kyoto-u.ac.jp/JDSN/data/Q-A.html

5. JDSNホームページ:http://jdsn.gr.jp

6. JDSNデータライブラリー:http://jdsn.ces.kyutech.ac.jp/

7.白井泰子、人間の生命のはじまりb人為的介入の是非.D・E・Sb淋糸問題研究会編 『いのちを看取る』春秋社,87-97,1997.

8.長谷川知子、出生前のダウン症の告知とカウンセリング、産婦人科の世界、vol.49,35-42,1997.

図1

図2